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第1回会話教育のための講演会・報告2

宇佐美まゆみ先生「談話分析と日本語教育」

レポーター 加藤 陽子

 近年の教育現場においては、情報伝達のための言語コミュニケーションの教育のみを目的とした指導ではなく、円滑なコミュニケーションを遂行するための指導もしていくべきだという声がある。日本語で、円滑なコミュニケーションのために必要な言葉遣いというと、まず、「敬語の使い方」を思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし、留学生が現実に直面する問題は、目上の人にどんな言葉遣いをするかという問題から、友達と話すのにいわゆる「タメ口」が上手に使えないという問題まで多岐に渡る。敬語には、「いらっしゃる」「参る」など、特別な語彙を覚えなければならない難しさがあるが、それ以上に難しい のは、いつ誰にどんな時にどの形式を使うかを判断しなければならないということのほうである。その難しさの原因は、敬語使用の原則というものが、「ウチ・ソト」、「上・下」という従来からの規範的な人間関係の認知の仕方を反映するものであるという点である。つまり、「人間関係の認知の仕方」が多様化している現代においては、何をもって「上・下」と捉えるかなどは、母語話者にとっても判断に困るからである。そういう意味で、規範的な敬語の言語形式を正しく使えることだけが円滑なコミュニケーションに結びつくわけではないという点にも注意しなければならない。例えば傘を貸す場面における「私はあなたに傘を一本貸して差し上げます」のような発話は、確かに敬語は使っているものの、自然な発話とは言えないだろう。また、原稿のチェックを教師に依頼する場面で次のような会話があったとしよう。

 学生:「○○に提出する原稿を書いてきたんですけど、コメントを頂けないでしょうか。」
 教師:「いいですよ。それでいつが締め切りですか。」
 学生:「明日です。」

 学生の発話は、言葉遣いとしては問題ないが、ディスコース・ポライトネスの観点からは問題である。これについては、急な依頼をするという行為自体が問題で、言葉遣いの問題ではないと考える人もいるかもしれない。しかし、どうしても急な依頼をする必要がある場合は、談話レベルでの述べ方の順番を変えることによって、当該の行為を和らげるような言葉遣いをすることが可能である。つまり、例えば「急なお願いで大変恐縮なんですが」のような前置きをつけて切り出す等の方法を使って、より円滑なコミュニケーションを目指すこともできるのである。

 以上のように、円滑なコミュニケーションのためには、言語形式の正確さだけでなく、談話レベルにおける言語行動の操作などが必要になる。円滑かつ自然なコミュニケーションが言語教育で求められているが、談話分析・談話研究は、上述の例も含めた様々な問題について気付かせてくれるよいきっかけになるものである。

 会話の分析にあたって、講演者は、「言語社会心理学的アプローチ」をとっている。これは、エスノメソドロジスト達の流れを汲むアプローチである「会話分析」(Conversation Analysis: CA)とは、主たる研究目的が異なるものであり、また、社会言語学者達のアプローチである「会話の分析」(Conversational Analysis)とも目的を異にするが、その方法論上の問題点を解消し、定量的処理を可能にするという方法論を用いるというアプローチである。エスノメソドロジストたちによる会話の分析の古典的な諸研究は、それ以前は、研究対象にならないと思われていた話し言葉を対象とし、会話にある規則性を見出したという点で評価できるものであった。しかし、その後発展した、主に社会言語学者たちによるアプローチには、データの出所が明確でない場合が多い、社会的コンテクストの統制が不十分であるため追試研究が困難である、などの方法論上の問題点があった。言語社会心理学的アプローチでは、これらの問題点を克服し、他の研究者が追試できるような方法を用いて会話の分析を行うことを、重要なことと考える。その方法論のエッセンスは、@条件を統制して(すなわち、条件を一定にした)データを収集する、 Aグローバルな観点(年齢・男女・発話者同士の関係などの参加者の属性等)と、ローカルな観点(それぞれの話者の会話内での相互作用)の双方から分析する、B同様の条件での追試検討を可能にするデータ収集・分析方法を取る、C数値化して、資料として統計処理も可能にするような形でフォローアップ・アンケートを行う。また、より細やかなインフォーマントの内省を聞くためには、フォローアップ・インタビューを実施する、などである。

 このような方法論に立ってなされた日本語の会話分析研究は、以下の二つの観点から、関連領域に大きな貢献ができると考える。一つは、主に印・欧言語に基づいて構築された理論・法則の普遍性や文化相対性を、日本語のデータに基づいて検証できるという点である。例えば、日本語の会話分析研究から、ポライトネス理論などの「普遍理論」として提唱されたものに、新しい視点を与えることができる。また、例えば、「ターンテイキング(turn-taking)」という用語は、既に広く使われているが、「発話順番」は、日本語の場合「取る」ものではなく、「待つ」ものであるという比喩のほうが近いのではないか、という捉え方もできる。このように、日本語の会話分析を通して、日本文化を考え、またそれらの結果に基づいて、従来の研究や理論に対して、欧米とは異なった視点から問題提起を行い、世界の研究に刺激を与えることができるのである。

 もう一つの点は、会話研究は、第二言語教育研究と双方向的に発展できる可能性を持っているということである。従来は、行動心理学がオーディオリンガルアプローチ等の言語教授法に影響を与えたように、理論から応用へという流れが主流であった。しかし、逆に言語教育などの応用分野が基礎研究に見直しを迫るという方向もある。基礎研究としての会話分析と第二言語教育は、相互に刺激を与えつつ発展する可能性があるのである。例えば、OPIのデータを使った会話研究は基礎研究であるが、OPIデータのやりとりを見ていく中から、会話に関わる理論に示唆する点を見出す可能性は多々ある。また、OPIのような、母語話者と非母語話者のやりとりのデータの中から、母語話者だけでは思いもつかない視点が見出せる場合もある。こうしたデータは、会話能力を測定するという実践的な観点からも、そのデータから何かを見つけていくという基礎研究の観点からも、有効なものであると思われる。このような、理論と応用との双方向的な交流は、今後の発展がますます望まれるものである。

 会話研究によって、会話の相互作用にはある規則性があるということを見出し、意識化、自覚化し、言語教育の現場に取り入れていくことは、学習者に益することとなる。また、談話レベルで観察を行うことによって、人間の言語コミュニケーションにおいても、言語形式だけが何かの機能を果たすのではないということが見えてくる。会話研究のこのような点が、日本語教育への貢献につながるのである。