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第1回会話教育のための講演会・報告4

全体会議に関する報告

レポーター 深谷 久美子

 プログラム最後では、「談話分析の可能性と会話教育への生かし方を探る」と題して、参加者によるグループ討議を受けて引き続き、全体討議が行われた。ここからは講演者お二人の先生方に、トレイナーの齊藤眞理子先生にもコメンテイターとして加わっていただき、熱心な論議が繰り広げられた。

 参加者には予め全体討議用の「質問・意見・提案メモ」用紙が配布されていて、そこにグループ討議で出た質問等を記入、順次三人のコメンテイターに届けられた。現場教師ならではの質問や、教室での疑問などが届き、三人の先生方の適切なるアドバイスが続いた。

 基本的な質問として、「会話教育の必要性があるのか」がまず上がった。日本に滞在していれば、教室外で否応無しに会話する機会があり、無理に教室活動として必要かどうかである。回答は「もちろん必要」、だがその際に「言語教育では押し付けることになりがちだが、教えるという捉え方ではなく、情報としていくつかのパターンをレベルに合わせて提示する」「特に外国で日本語教育する場合、クラスの中で効果的に会話教育をすることはできる」であった。

 次に教室活動についての具体的質問とアドバイスが続いた。会話教育への具体的な質問として「〜んです」の教え方や「ためぐち」について、さらにためぐちの反対に位置する文化をからめた敬語の効果的な教え方などの質問があがった。

 「聴解というインプットを与え、それをインテイクに変えるというのが教師の役割」

 「書かれた会話の練習だけではそれだけにとどまってしまう恐れがある」

 「会話のやり取りだけでなく、体験談を物語的に語る、それをテープに取り学習者が自分で教師とともにフイードバックする」

 「教える、押し付ける、教え込むのではなく、学習者自身が考えたり、選んだり、学びたいということを効果的に学べるようにしむける」

 「全体的なカリキュラムの中で必要かどうかを考える」

 など会話能力を上げるために個別の教え方だけでなく、会話教育そのものに対する教師の姿勢や方法について汎用性のあるアドバイスが続いた。さらに、文化をからめた敬語を教えるということに関しては、OPIの超級との関連でアドバイスがあった。

 「会話において敬語自体が現れればいいのか。声の調子や談話の進め方など、敬語そのものが出ていなくても丁寧であればいいのか。しかし、やはりフォーマルな場面では敬語が出てくる必要がある」

 「日本人が例えばアル中の人にお酒を控えるようアドバイスするという状況例を、日本語の母語話者がどう対応するかを例えば1000例ぐらい調査し、モデルをつくり、それに沿っていないものをフェイルにするなど考えなければ、難しいところである」

 「文化の違いに関して“ターンテイキングは取るものか待つものか”という相反する見方があるが、ここに文化的違いがでる。日本語のターンも常に待っているだけではない。背後にある会話者たちの序列、順番の共通認識などと関係してくる」

 さらに、先生方も興がのり日本語教育全体の問題にも話題が広がり、日本語教師の役割という根本的な問題に言及されていった。

「気がつかないけれども、人を傷つけたり、また自分も傷ついたりすることが談話のスタイルに帰着するということがある、だから日本語特有の談話のスタイルが言語化されているので、それを、教師の役割として提示する、教えてもらいたい人には教えるということは自然な行為ではないか」

「教師が失礼になるかどうか知っていることについては、学習者に情報として提供するのはいいのではないか。ある場面でどのような言葉を使うか、母語話者に不審が残るような表現について注意を促す必要があるのではないか」

など、講演内容を補足、発展させる活発な討議があった。