日本語OPI研究会

第37回定例会(2000.12.10)講演レポート

アメリカにおける日本事情教育と日本語教育の接点
- Content-Based Instructionをめぐって

(牧野成一トレーナー)

(2000年11月25~27日の韓国日本学会国際シンポジュームより)

 「日本事情」というと、歴史、文化、経済などが考えられるが、大変つかみ所がないように思える。日本事情の基本として日本でしていいこと、してはいけないことといった行動規範を初級で教えることが肝心ではないか。しかし、上級に行くにつれて、日本事情について、教師が間違った通念を提供していることが多いようであり、そのレベルでの日本事情教育の是正が必要だと思われる。今後はContent Courseとの関わりをどうやって進めるかという点を考え、日本学者と協力をしていく必要がある。例えば、日本学者が最初に日本の歴史に興味を持ったときに読んだ物を学習者に与えるなどの工夫をしなければならない。

 過去25年ぐらいの日本語教育は、コミュニカティヴ・アプローチが中心で、実用的になりすぎているきらいがあるのではないだろうか。アメリカではliteracy-oriented approach(読み中心のプローチ)という考えが去年あたりから前面に出てきており、読み書きを通して外国語教育をもっと知的にすべきだということが言われている。すでに80年代から出てきているContent-based Instruction(内容中心の教育CBI))ということとからみ合わせて、やや偏ってしまった日本語教育に、もう少し日本事情教育を取り入れなければならないのではないだろうか。

 例えばプリンストン大学では、5年生のレベルで「蛍」(村上春樹)を1学期通して読むことがあるが、これも文学作品としてだけでなく、歴史的な視点、政治学的な視点、社会学的な視点など、総合的な視点で読み込み、時には英文(小説の翻訳ではなく、村上に関する英文で書れたもの)を読ませ、クラスではその内容について日本語で討議をしている。徹底的の読ませるためには(これもないがしろにされてきたものであるが)翻訳の作業も大変意味があることだと考えられる。何を読ませるかということが大切であり、いかに理解力と思考能力を養うかがポイントになる。ただ、論文や専門書を読ませる際も、バランスを考え、必ず反対の見地に立つものを同時に扱わなければならないだろう。

 内容中心の教育は語学の教師とそれ以外の教師の協力体制がないと非常に実現が難しいが、語学の教師がそれ以外の教師(content course instructors)と無関係に上級の日本語教育を行っていることは大きな問題で、両者の連携は21世紀の日本語教育に与えられた課題の一つではないかと思う。